ワタシは、たまたま認知行動療法のカウンセリングが、自分にとてもぴったりハマり、かなり症状が改善されました。
受けていなかったら、まだまだかなり行動範囲は狭まったままだったでしょう。
でも、まだまだ最低量だけど薬は毎日飲んでるし、「治った」とは言えない状態です。
だけど、だんだん普段の生活でさほど不安を感じないようになってくると、
「『完治』って、どういうことなんだろう??」
という疑問がわいてきます。
例えば、満員の電車は、誰だって不快です。普段満員電車とは無縁の生活をしている人が、わざわざ満員電車を選んで乗る必要があるでしょうか?
飛行機が嫌いで、今まで乗ったことない人は、これからだって乗ることはないでしょう。
高所恐怖症の人は、わざわざ高いところへ行くことはありません。
それに、薬ですが、高血圧の人は、降圧剤をずっと飲むでしょうし、なにか持病の疾患で、一生薬を飲まなければならない人もいるでしょう。
パニック障害だって、ひどい発作や堪え難い不安がそれで治まるなら、一生薬を飲んでたっていいワケです。
ワタシは、パニック障害の克服とは、薬を飲んでいようがいまいが
「(誤った認知による)不安に行動を妨げられることなく、日々穏やかに生活できる状態」
ではないかなぁと思います。
「完治」しなくても、「克服」できればいい。
それでは、医学的には「治った」と言うことにはならないのかも知れませんが、
きっと、そうして日々を過ごせることが出来ていれば、そのうちに薬の方から離れていくんじゃないかなぁ、と思います。
そして、そのような心境になれる転機・出会いは、誰にでもいつか必ず訪れると、ワタシは信じています。
なかなかうまく行かず停滞しているな、という時があっても、今はまだ、その機会に恵まれていないだけ。
必ず、楽しく、穏やかに過ごせる日は来ます。
本当にこの病気は、先のぼんやりした道をずーっと旅していくようなものです。
ですが、周りの風景はいつしか変化していくし、歩いていくうちにいろいろな出会いがあります。自分自身も歩いていくうちにその歩調に慣れて、たくましくなります。そして、ぼんやりした道の先を、想像することが出来るようになります。
ワタシも、まだまだ歩いています。
ゆっくりと、のんびりと。
周りの風景を楽しみながら。